ちょっとLagrangianのことを真摯に見直してみよう。
例えば実Klein-Gordon場のLagrangian$\mathscr{L}$は次のように書かれる。
\[
\mathscr{L}(\phi(x),\partial_\mu \phi(x))_{\mu=0..3}=\frac{1}{2}\partial_\mu \phi(x) \partial^\mu \phi(x) - \frac{m^2}{2} \phi(x)^2
\]
だが別に次のように書いたって構わないはずだ。$\mathscr{L}:\mathbb{R}^5\rightarrow\mathbb{R}$として
\[
\mathscr{L}(v,w,x,y,z)=\frac{1}{2}(w^2-x^2-y^2-z^2)-\frac{m^2}{2}v^2
\]
今、たまたま$v$に$\phi(x)$、$w$以下にその微分の値が代入されているだけのことと捉えている。この描像ではLagrangianそのものは時空のLorentz変換とかそういうものとは一切無縁であるが、こういわれると拭いきれぬ違和感が残る。
それもそうで、その理由は、大事なのは合成関数$\mathscr{L}\circ (\phi, \partial_0 \phi,\partial_1 \phi,\partial_2 \phi,\partial_3 \phi):M\rightarrow \mathbb{R} $にあるからだ。ちょっとひねくれてみせただけなので本来は自明すぎて不要な議論なのだろうが、おそらく平時Lagrangianと言う場合はこの合成された関数$\mathscr{L}$のことを指しているのであろう。今は面倒なのでこれを簡略化して$\mathscr{L}\circ \phi$について考えることにする。
今しばし合成関数の議論に寄り道することにする。(以下、なんとなく定義域とか値域といった概念を自然に定義できる射を写像と呼んでいる。あるいは$\mathcal{Sets}$への忘れっぽ関手が存在する圏の射のことを写像と呼ぶ?)
合成写像とは一般に二つの写像$f:A\rightarrow B, g:B\rightarrow C$から構成される写像$g\circ f:A\rightarrow C$のことであるが、重要なのは合成される写像$g$の定義域$\mathrm{dom}(g)$が合成する写像$f$の値域$\mathrm{Im}(f)$に制限されるということである。(する・されるの自然性がここにある)圏語で言えば$\mathrm{Im}$とは圏$\mathscr{C}$上の射の圏$\mathscr{M}_\mathscr{C}$から$\mathscr{C}$への関手$\mathscr{M}_\mathscr{C}\rightarrow\mathscr{C}$であるから、射$f$の(codomainを変えない)変換$e^{\delta}_{A\rightarrow B}:f\mapsto f'$はその像の変換$\mathrm{Im}(e^{\delta}_{A\rightarrow B})=e^{\delta}_B:\mathrm{Im}(f)\mapsto \mathrm{Im}(f')$を伴う。大切なことは、合成される前の射$g$と$f$に合成された$g;g\circ f$とは異なるということだ。合成される前の$g$は$f$の変換とは無縁であるが、合成された後の$g$には$f$の変換から誘導された変換を定義することができる。(時空の変換と座標変換のdiagramを参照。今は$M\rightarrow M$が$\mathrm{Im}(f)\rightarrow \mathrm{Im}(f')$で座標$x$が場$\phi$、$\mathbf{R}^N$が場の値(codomain)である。)
$f$の変換$e^\delta_{A\rightarrow B}$から誘導される$g$の変換を$e^\delta_{B\rightarrow C}$と置けば、これは
\[
g\circ e^\delta_{A\rightarrow B}(f) = e^\delta_{B\rightarrow C}(g)\circ f
\]
であるような変換である。
ここで明文化されたことは、合成関数を考えると、内部の変化を外側へと伝搬させて最外殻の変換に帰着させることができるということだ。
\[
f'(g(h(\cdots k(x)))) = f(g'(h'(\cdots k'(x'))))
\]
ここに物理学でLagrangianを考える意義というものも見いだすことができる。時空や場の変換をすべてLagrangianの変換という共通した視点から捉える事ができるのである。
そして"LagrangianのLorentz不変性"という言葉が意味するところは、時空のLorentz変換を場を経てLagrangianの変換に帰着させたとき、この変換に対してLagrangianが不変であるということである。
きわめてつまらない例を挙げよう。今$\mathscr{L}(\phi(x))=\phi(x)$とおくと、場の水増し変換$I_a(\phi)(x)=\phi(x)+a$はLagrangianの変換$\mathscr{L};x\mapsto x\rightarrow I_a^*(\mathscr{L});x\mapsto x+a$を誘導する。したがって$ I_a^*(\mathscr{L})\not= \mathscr{L} $なので、このLagrangianは水増し変換から誘導される変換$I_a^*$について不変ではない。
$\mathscr{L}(\phi(x))=\partial_x \phi(x)$と置けば、このLagrangian は水増し変換から誘導される変換
$I_a^*$
について不変である。
蛇足であるが、この合成写像にまつわる考え方を普遍的なものにしようとすると、
\[
f'(g(h(\cdots k(x)))) = f(g'(h'(\cdots k'(x'))))
\]
の引数$x$がなんとも特異的である。これには対症療法があって、一つの元からなる集合$\mathbf{1}=\{1\}$を考えれば、$\mathrm{Hom}(\mathbf{1},M)\simeq M; \hat{x};1\mapsto x \sim x$であるから上の式は
\[
f'\circ g \circ h \circ
\cdots \circ
k \circ
x = f\circ g' \circ h' \circ
\cdots \circ
k' \circ
x' \]
と書いても同じことである。
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