2012年9月28日金曜日

座標とベクトル

Minkowski空間$M$上の座標$\{x^\mu\}_{\mu=0,1,2,3}$について、これは4-vectorではない。

点$o$のまわりでの時空のLorentz変換を考えてみよう。すると実際に、
\[
x^\mu(p') = \Lambda^\mu_\nu (x^\nu(p) - x^\nu(o)) + x^\mu(o) = \Lambda^\mu_\nu x^\nu(p) + (1-\Lambda^\mu_\nu)x^\nu(o)
\]
である。わざわざ$o^\mu=0(\mu=0,1,2,3)$となるような座標を選ぶので勘違いしてしまうのである。

項$ (1-\Lambda^\mu_\nu)x^\nu(o)$は変換を決めれば一意に決定される定数項なので、座標から導入される接ベクトル$\partial / \partial x^\mu (\mu=0,1,2,3) $や1-form$dx^\mu (\mu=0,1,2,3) $は紛うことなき4-vectorである。

2012年9月26日水曜日

合成写像一考

写像$f:A\rightarrow B$と$g:B\rightarrow C$との合成写像のことを考えるときは実は上のようなことが起こっている。$i$はinjectionである。 $i_*$は単射なので$i_*(f)$のことを$f$と書いてしまい、$g\circ f$と書いた場合は$g\circ i_*(f)$のことと思うのが普通であるが、現象としては$i^*(g)\circ f$のほうが本質的であるように思える。$i^*$は全射なので情報の欠損が起こっている。LagrangianのLorentz不変性"の意味ではそう思って$g$が$f$に合成されると表現したのであるが、・・・・・・

"LagrangianのLorentz不変性"の意味

ちょっとLagrangianのことを真摯に見直してみよう。
例えば実Klein-Gordon場のLagrangian$\mathscr{L}$は次のように書かれる。
\[
\mathscr{L}(\phi(x),\partial_\mu \phi(x))_{\mu=0..3}=\frac{1}{2}\partial_\mu \phi(x) \partial^\mu \phi(x) - \frac{m^2}{2} \phi(x)^2
\]
だが別に次のように書いたって構わないはずだ。$\mathscr{L}:\mathbb{R}^5\rightarrow\mathbb{R}$として
\[
\mathscr{L}(v,w,x,y,z)=\frac{1}{2}(w^2-x^2-y^2-z^2)-\frac{m^2}{2}v^2
\]
今、たまたま$v$に$\phi(x)$、$w$以下にその微分の値が代入されているだけのことと捉えている。この描像ではLagrangianそのものは時空のLorentz変換とかそういうものとは一切無縁であるが、こういわれると拭いきれぬ違和感が残る。

それもそうで、その理由は、大事なのは合成関数$\mathscr{L}\circ (\phi, \partial_0 \phi,\partial_1 \phi,\partial_2 \phi,\partial_3 \phi):M\rightarrow \mathbb{R} $にあるからだ。ちょっとひねくれてみせただけなので本来は自明すぎて不要な議論なのだろうが、おそらく平時Lagrangianと言う場合はこの合成された関数$\mathscr{L}$のことを指しているのであろう。今は面倒なのでこれを簡略化して$\mathscr{L}\circ \phi$について考えることにする。

今しばし合成関数の議論に寄り道することにする。(以下、なんとなく定義域とか値域といった概念を自然に定義できる射を写像と呼んでいる。あるいは$\mathcal{Sets}$への忘れっぽ関手が存在する圏の射のことを写像と呼ぶ?)

合成写像とは一般に二つの写像$f:A\rightarrow B, g:B\rightarrow C$から構成される写像$g\circ f:A\rightarrow C$のことであるが、重要なのは合成される写像$g$の定義域$\mathrm{dom}(g)$が合成する写像$f$の値域$\mathrm{Im}(f)$に制限されるということである。(する・されるの自然性がここにある)圏語で言えば$\mathrm{Im}$とは圏$\mathscr{C}$上の射の圏$\mathscr{M}_\mathscr{C}$から$\mathscr{C}$への関手$\mathscr{M}_\mathscr{C}\rightarrow\mathscr{C}$であるから、射$f$の(codomainを変えない)変換$e^{\delta}_{A\rightarrow B}:f\mapsto f'$はその像の変換$\mathrm{Im}(e^{\delta}_{A\rightarrow B})=e^{\delta}_B:\mathrm{Im}(f)\mapsto \mathrm{Im}(f')$を伴う。大切なことは、合成される前の射$g$と$f$に合成された$g;g\circ f$とは異なるということだ。合成される前の$g$は$f$の変換とは無縁であるが、合成された後の$g$には$f$の変換から誘導された変換を定義することができる。(時空の変換と座標変換のdiagramを参照。今は$M\rightarrow M$が$\mathrm{Im}(f)\rightarrow \mathrm{Im}(f')$で座標$x$が場$\phi$、$\mathbf{R}^N$が場の値(codomain)である。)

$f$の変換$e^\delta_{A\rightarrow B}$から誘導される$g$の変換を$e^\delta_{B\rightarrow C}$と置けば、これは
\[
g\circ  e^\delta_{A\rightarrow B}(f) =  e^\delta_{B\rightarrow C}(g)\circ f
\]
であるような変換である。

ここで明文化されたことは、合成関数を考えると、内部の変化を外側へと伝搬させて最外殻の変換に帰着させることができるということだ。
\[
f'(g(h(\cdots k(x)))) = f(g'(h'(\cdots k'(x'))))
\]
ここに物理学でLagrangianを考える意義というものも見いだすことができる。時空や場の変換をすべてLagrangianの変換という共通した視点から捉える事ができるのである。

そして"LagrangianのLorentz不変性"という言葉が意味するところは、時空のLorentz変換を場を経てLagrangianの変換に帰着させたとき、この変換に対してLagrangianが不変であるということである。

きわめてつまらない例を挙げよう。今$\mathscr{L}(\phi(x))=\phi(x)$とおくと、場の水増し変換$I_a(\phi)(x)=\phi(x)+a$はLagrangianの変換$\mathscr{L};x\mapsto x\rightarrow I_a^*(\mathscr{L});x\mapsto x+a$を誘導する。したがって$  I_a^*(\mathscr{L})\not= \mathscr{L} $なので、このLagrangianは水増し変換から誘導される変換$I_a^*$について不変ではない。 $\mathscr{L}(\phi(x))=\partial_x \phi(x)$と置けば、このLagrangian は水増し変換から誘導される変換 $I_a^*$ について不変である。

蛇足であるが、この合成写像にまつわる考え方を普遍的なものにしようとすると、
\[
f'(g(h(\cdots k(x)))) = f(g'(h'(\cdots k'(x'))))
\]
の引数$x$がなんとも特異的である。これには対症療法があって、一つの元からなる集合$\mathbf{1}=\{1\}$を考えれば、$\mathrm{Hom}(\mathbf{1},M)\simeq M; \hat{x};1\mapsto x \sim x$であるから上の式は
\[
f'\circ g \circ h  \circ \cdots  \circ k  \circ x =  f\circ g' \circ h'  \circ \cdots  \circ k'  \circ x'  \]
と書いても同じことである。

2012年9月18日火曜日

時空の変換と座標変換

なんかゴチャゴチャと書いていたが勘違いをしていたしそんなに力む必要もなかった。(昔のは下にいちおう小文字で残しておきます。)対称性の議論をする際は時空を変換するし、スカラー場やベクトル場の特性をみるときは座標を変換する。しかし場当たり的な表記がそれを混同させる。

物理では時空点を座標表示し場の引数とする。古典場の場合我々に見える量は$\phi(x(p))$である。各々の変換がどのような変化を引き起こすかというと・・・

時空を変換する場合:
\[
\phi(x(p)) \rightarrow \phi(x(p')) = \phi(\Lambda^{-1}x(p)) \]
座標を変換する場合:
\[
\phi(x(p)) \rightarrow \phi(x'(p)) = \phi(\Lambda x(p))
\]
$\Lambda$の方向が変わるのは時空の変換を座標の変換に引き戻しているから。(下のdiagramを参照。)物理ではこれらの左辺を両方とも$\phi '(x(p))$とかいて、次のように表記するのである。
時空を変換する場合:
\[
\phi'(x')=\phi(x)
\]
座標を変換する場合:
\[
\phi'(x)=\phi(x')
\]

ミンコフスキー空間一枚を一つの座標で張れてしまうのでややこしいが、数式上は似ていてもやっていることや物理的哲学はまったく異なるので、厳密にしたいところである。


物理学の文脈でLorentz変換などという言葉が用いられるとき、これが一体何を変換しているのか分からないときがある。おそらく、文脈によって時空に対する変換としてのLorentz変換と座標変換としてのLorentz変換の二通りが混同されていると思われる。あるいは、明確に区別されずに、どちらつかずな状態で使用されているのではないか。事実、Wikipediaでも、冒頭の中だけで『2 つの慣性系の間の座標(時間座標と空間座標)を結びつける線形変換』とあったと思えば『ミンコフスキー空間における 2 点間の世界間隔を不変に保つような、原点を中心にした回転変換を表す。』とあり、混同することはなはだしい。

(ちなみに私はそもそも物理は座標によらないはずなのだから、座標変換としてのLorentz変換には意味がない。Lorentz変換とは時空に対する変換(Minkowski空間に対する作用)である、という立場である。)

ただ、その混同も致し方がないのかなと思う。いま簡単のためにMinkowski空間、もとい一枚の座標で覆い尽くすことのできる空間$M$を考えよう。そして$\Lambda$をLorentz群の元とする。$\Lambda$は$M$に作用する。さらに$M$上の座標$x$を考える。$x$は空間$M$から$\mathbf{R}^N$への写像である。すると、空間$M$上の変換$\Lambda$は自然に座標$x$の変換を誘導するのである!
まとめると、(xyjaxが使えたら!)
では、結局、時空の変換でも座標変換でもどちらでも議論は変わらんじゃないかと思われるかもしれないが、逆に座標変換から空間上の変換が自然に従うかというとそうではないし、空間が曲がり始めると、いよいよ座標変換と言う概念が物理的価値を失う。やはり (対称性の議論をしている場合においては) Lorentz変換と言ったら時空の変換なのである。

啖呵を切っておいて間違えているという恥ずかしい場合もあるので、気づいた方はご批判を頂ければ幸いである。

2012年9月17日月曜日

物理学科生に対する嫌味?

\[
v^\mu
\]
上の記号を見たときに、これをベクトルだと思っただろうか。それともスカラーだと思っただろうか。

まあ、とりあえず話を変えよう。ベクトルはスカラー倍できて、任意のベクトルは基底の線型結合・・・適当なスカラー倍を施して総和をとることで表現できる。
\[
\mathbf{v} = v^\mu\mathbf{e}_\mu
\]
上の言明を数学的に記述すれば、体$K$上の$n$次元ベクトル空間$V$とその一つの基底$\{\mathbf{e}_\mu\}_{\mu=1,..,n}$に対して、
\[
\forall \mathbf{v} \in V ; \exists v^1,v^2,...,v^n \in K; \mathbf{v} = v^\mu\mathbf{e}_\mu
\]
さて、もう一度一番上にある記号を再掲しよう。

\[
v^\mu
\]
上の記号を見たときに、これをベクトルだと思っただろうか。それともスカラーだと思っただろうか。

実用的な問題を一つ。ローレンツ変換に対して、ベクトルはどのように変換するだろうか。

啖呵を切っておいて間違えているという恥ずかしい場合もあるので、気づいた方はご批判を頂ければ幸いである。